辛丑の日生まれの有名人!池田大作1928年1月2日・金水傷官の性格と運勢

38・辛丑の日生まれの有名人

池田大作氏は、昭和3年1月2日の辛丑・養の日生まれで、金水傷官と言われる日になっています。
金水傷官の命式の成功者の代表、創価学会の池田大作氏の性格と運勢を四柱推命で振り返ってみたいと思います。

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1928年1月2日 池田大作の命式

    空亡 辰巳
丑    1-7艮

池田大作1928年1月2日の風景

とっても頭が良くて、才能豊かな人の代名詞、金水傷官。

池田大作氏は、辛丑(かのとうし)の日生まれ、壬子(みずのえね)・12月生まれ。
冬の冷たく清らかなな川の水の中で光る、小粒のゴールドや宝石。

ゴールドや翡翠の原石が、壬子水の大きな川の水の流れに身を任せながら、磨かれてきれいな宝石になっていく風景。

川の周囲は、丑土の土手があり、卯木が植えられ、丁火のたき火が燃えています。

池田大作1928年1月2日の大運

「金水傷官、正官拒まず」と言われますが、暖かい丙の太陽・正官がうれしい辛金の誕生日。

辛金は1個しかないので、弱い金の日ですから、庚・辛・申・酉の秋運がエネルギーが強くなり、行動が活発になります。
金を助ける、戊・己も吉運ですが、印星となり、宗教家となったのも、うなずけます。

夏の季節が巡った時が吉運となりますが、池田大作さんの運勢はどうなっているのでしょうか?

19 29 39 49 59 69 79 89
辛 庚 己 戊 丁 丙 乙 甲
 戌 酉 申 未 午 巳 辰

大運は、冬から秋・夏の季節を巡りますので、20歳くらいからは、努力が報われる運気となることが想像されます。

壬子の川の流れをどんなふうにコントロールして、使っていくのかが、課題。
壬水は、傷官の表現力・自己アピールの星。

大運・10歳~19歳まで

池田大作氏の大運は、12月生まれですから、冬の季節・厳しく寒い環境から始まっています。

19歳までの生活環境は、壬子の12月・辛亥の11月と雪が降り積もって寒く冷たい川の流れに身を置く、辛金です。

辛金が生まれた環境は、経済的に恵まれない生活苦や、周囲に自分の気持ちをわかってもらえない、精神的に辛いことがあったかも!と、想像されます。

辛金から卯木は偏財の父親の星です。

年柱に丁卯があり、丁火に卯木の薪をくべて、温まる風景を想像するものの、丁火は壬と干合して燃え上がり方が弱いことが想像され、経済力の弱い父親だったかも。

卯木と子水の刑となっています。
湿った木は丁火を勢いよく、燃え上がらせることが難しいみたい。

とっても頭が良くて、才能豊かな人の代名詞、金水傷官と言われる誕生日です。

(池田大作氏の履歴・ウィキペディアより)

1940年:庚辰・劫財12歳

3月 尋常小学校卒業の後、新潟鐵工所に就職。

8月、申子辰三合水局・肋膜炎を患う

9月 「昭文堂印刷」で文選工をする傍ら、私立の高校に編入。

1946年:丙戌・正官18歳

東京都大田区森ヶ崎にある「協友会」に加入。
高校卒業と同時に「昭文堂印刷」を退社。

半年後、「蒲田工業協同組合」に勤務

1947年:丁亥・偏官19歳

8月24日、創価学会に入信。
入信したことで、家からは勘当状態になる。

子と卯の刑?

亥卯未の木の三合半会と亥子の水の方合。

大運・庚戌 20歳~29歳

20歳から秋の季節・庚戌月・10月となり、真冬の冷たく寒いお天気が終わり、過ごしやすい季節になりました。

20歳以降は努力が報われやすくなっていくとみます。

1948年(21歳)戊子・印綬

「大世学院」(後の東京富士大学短期大学部)の政経科夜間部に入学。
1949年1月3日 「日本正学館」に入社

1949年(21歳)己丑・偏印

少年雑誌『冒険少年』の編集に携わる。

5月 「日本正学館」編集長に就任。

10月 「東京建設信用組合」に入社。

1950年22歳:庚申・劫財

10月 「大蔵商事」(現「日章」)に移動。

1951年23歳:辛酉・比肩

5月 蒲田支部大森地区の地区委員に任命される。

7月 青年部(男子部)が結成され、第1部隊長になる。

1952年(24歳)壬辰・傷官

3月 参謀室長となる。
5月3日 白木香峯子と結婚。

傷官が強いので、才色兼備の女性でしょうかね?。

1953年(25歳)癸巳・食神

池田大作氏に、11月25日 長男博正の誕生。

正式に「太作(たいさく)」から「大作(だいさく)」に改名。

1954年(26歳)):甲午・正財

午火は6月を表し、暖かい夏の季節です。
甲木は、卯木に透干して、正財・人脈が広がります。

3月30日 青年部参謀室長に任命。
「情報部」の最高顧問となる。

この頃、「大蔵商事」の仕事を離れる。

12月3日 「渉外部長」を兼任。

1957年:丁酉・偏官

辛金にとって、丁火の燃える火は、天敵。
今までの生き方や考え方によって、どんな行動をしたかによって、変化運となります。

7月4日 参院大阪選挙区の補欠選挙で、自分の部下にあいりん地区の日雇い労働者達に候補者名の氏名が入ったタバコや現金を渡すようを指示したとして公職選挙法違反(買収)の疑いで逮捕、大阪東警察署と大阪拘置所に勾留。

後に検察官より禁固10か月の求刑を受けるが、後に無罪が確定する。

大運30歳~39歳・己酉・偏印

池田大作氏の辛金は、酉金を根として、どんどん大きな宝石や金属の製品となり、存在感が大きくなります。

己土は、金属を生む、助ける星ですから、目上の人から引き立てを受けたり、実力者からの援助が期待できます。

1958年(30歳)戊戌・印綬

6月 総務を青年部参謀室長と兼任[14]。

1959年(31歳)己亥・偏印

6月30日:北条浩、龍年光と共に創価学会理事に就任。

1960年(32歳)庚子・劫財

5月3日 創価学会第3代会長に就任。

1962年:辛丑・比肩

1月25日 「大阪事件」で無罪判決が言い渡される。

1964年(36歳)甲辰・正財

宗門から法華講総講頭に任命される。

1965年(37歳)乙巳・偏財

1月1日 『聖教新聞』紙上で小説『人間革命』の連載を始める。

大運40歳~49歳 戊申・印綬

1968年(40歳)戊申・印綬

9月8日:中華人民共和国の正式承認と日中国交正常化、中国の国連加盟などを提言。

1970年(42歳)庚戌・劫財

創価学会と公明党に対する批判本に対して、創価学会員、公明党議員らが出版・流通を妨害したとされる「言論出版妨害事件」で、野党議員が池田の証人喚問を要請。

1974年46歳:甲寅・正財

10月29日 創価学会の代表役員を辞任し
11月 『中国の人間革命』(毎日新聞社刊)を出版。

創価学会本部総会で、「七つの鐘」構想を発表。
1990年までに広宣流布の総仕上げを目標に掲げた。

1975年(47歳)乙卯・偏財

1月 創価学会の世界的組織、SGI(創価学会インタナショナル)の会長に就任。

1976年(48歳)丙辰・正官

丙辛干合は水の干合といわれますが、池田大作と創価学会員との不倫関係が表ざたになりました。
一白水星は、離宮に在泊・これも秘密ごとがあぶりだされるという運気でした。
離宮は、警察や裁判などに縁あり・・・。

月刊誌『月刊ペン』に対し、名誉毀損に当たるとして創価学会及び相手とされた創価学会員らと共に月刊ペン社の発行人と編集長隈部大蔵を刑事告訴。

大運:50歳~59歳・丁未・偏官

池田大作氏の辛金に丁火のたき火運は、変化が求められる環境になりやすい運気です。

今までの自分がやってきたことは、通じないなど、新しいやり方を要求される傾向がでます。

未は7月を表し、晩夏ですから、運気的にはまだまだ発展を望めると思いますが、未と日支の丑が刑となり、自分の足元も落ち着かないようです。

辛金のダイヤモンドの天敵は、丁火。

丁火によって、燃えてしまうダイヤモンドは、ただの炭になってしまうそうですが、池田大作氏には、どんなことがおこったのでしょうか?。

1979年(51歳)己未・偏印

己土は、湿り気を帯びた土ですから、壬子の清らかに澄んだ川の水は、濁って泥水状態となります。

4月24日 日蓮正宗との問題で創価学会会長を引責辞任。
新しく創設したポストである名誉会長に就任。

大運:60歳~69歳・丙午・正官

丙辛干合。
月柱干支の社会運を表すとされる、「壬子」と「丙午」の天戦地冲

辛金から、壬水は、傷官の自己アピール、表現力。

自己アピールの方法に変化が起こります。

1990(62歳)庚午・劫財

子・午の冲。

12月27日 日蓮正宗が法華講総講頭に任期制を導入、これにより任期終了と共に池田大作氏は、法華講総講頭の資格を自動的に失う。

1991年(63歳)辛未・比肩

11月28日 創価学会とSGIが日蓮正宗と決別[20]。
詳細は「日顕 (日蓮正宗)#創価学会破門」を参照

大運:甲辰・正財 80歳~89歳

2010年82歳:庚寅・劫財
5月の本部幹部会以降、体調不良から創価学会内の公式行事を全て欠席、現在へ至る。

まとめ

池田大作氏、1928年1月2日・辛丑・養の日うまれの金水傷官の人。

幼少期は、冬運で生まれた環境は裕福ではなさそうでした。
10代から、辛・比肩、庚・劫財と独立運が巡っていて、親を頼れない環境の傾向があり、高校や大学を自分のちからで卒業しています。
酉・申の辛金が根を持つ、強いエネルギー秋運と、暖かい夏運が巡ってどんどん出世、四柱推命の基本のような人生だったようです。

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