本庶佑(ほんじょ・たすく)京都大学名誉教授・日本の医師、医学者(医化学・分子免疫学)。
2018年ノーベル生理学・医学賞をジェームズ・P・アリソンと共同で受賞されました。1942年1月27日が誕生日とのこと、四柱推命占いで本庶佑氏の誕生日の風景と性格と運勢を想像してみました。

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出典:wikipedia.org 2013年文化勲章

本庶佑:1942年1月27日の命式

2018年・76歳
日  月  年
庚  辛  辛 空亡 申酉
辰  丑  巳 九星 五黄土星
戊  己  丙
偏  印  偏
印  綬  官
養  墓  長

本庶佑:1942年1月27日の風景

庚・辛・辛の金星がから、金属製品、乗用車を想像しました。
申・酉の根がありませんから、生まれた時はそんなに大きな自動車ではありません。

庚金の荒金が、高級品に変わるためには、丁火で鍛錬されなければいけません。

年支に巳火があり、丙火の太陽と、丁火をもっています。

辰・丑の土星が2個あり、広い土地。

これらをまとめて想像される、本庶佑さんの誕生日1946年1月27日の風景は、辰・丑の広い土地の水平線から太陽が昇ろうとしています。

朝陽の向かって走る車?

本庶佑:1942年1月27日の大運

年齢 干支 通変性
07:辛丑 (劫財)
17:庚子 (比肩)
27:己亥 (印綬)
37:戊戌 (偏印)
47:丁酉 (正官)
57:丙申 (偏官)
67:乙未 (正財)
77:甲午 (偏財)

本庶佑:1942年1月27日の命式説明

本庶佑氏は、庚辰(かのえたつ)の日生まれ、庚金・金属・土の中から掘り起こされたばかりの剛金がイメージです。
日支に戊(つちのえ)の偏印を持ち、十二運は養。

社会運や環境を表す月の干支は、辛丑(かのとうし)劫財と印綬の組み合わせで、十二運は墓(ぼ)。

年の干支は、辛巳(かのとみ)劫財と偏官の組み合わせで、十二運は長生。
実家・先祖

庚金星からみた五行の通変星

庚・辛:比肩・劫財→ 自分・兄弟・友人・同僚
壬・癸:食神・傷官→ 発散・表現力・自己アピール
甲・乙:偏財・正財→ お金・人脈・社交性・妻・女性
丙・丁:偏官・正官→ 自己抑制・変化・鍛える
戊・己:偏印・印綬→ 知性・資格・趣味・経験・上司・後援者

本庶佑1942年1月27日の性格

庚辰(かのえたつ)養

庚辰は魁罡(かいごう)と言われています。
魁罡は、特殊星として特別扱いされ、強いパワーが宿る魅力的な雰囲気を持つ、個性が強い星と言われています。

庚辰・養は特に、相手の行動に敏感に反応する傾向があり、気持ちを推し量る、勘が鋭いところがあります。

陽干・庚と陰干・辛・辛と天干に並んで、巳火が年支にあり、柔軟性があり臨機応変に物事に対処できる能力に長けるようなしつけ、育て方を幼少期に受けたのでは?と想像します。

ようするに、1942年1月27日生まれの人は、感受性が鋭く、表面的には大胆で度胸があるように見えても、繊細で臆病なところがあり、辰土と、丑土の印星で工夫する、経験する、納得するまで体の中に染込むまで忍耐強く、同じことを何度でも続けることを厭いません。

十二運:養の性格

自分が居心地の良い場所を探すことに長けているというか、お神輿のように、担いでもらえる環境を求めて、手にいれられるかそうかが、成功するかどうかの秘訣なのです。
安倍 晋三(1954年9月21日 )氏も庚辰です。

養子の養、自分の生まれた家は長男が継ぎますから、次男坊や三男は他家に養子に行って自分が主人になれる環境を手に入れることを厭いません。
野心を内面に秘め、成功するために、気長に努力します。

生き方はスケール大きくがモットー、 小さな家のガレージで大人しくしているタイプではありません。

偏印は、職人肌・とってもこだわりの強い性格で、気になったことをとことん追求することにこだわり、勉強や研究など工夫する人です。

比肩・劫財・劫財と並び、対人関係は苦手な傾向なので、周りから理解されにくいところがありますが、見えないところで一生懸命努力して、自信をつけていきます。

大学への進路は、それなりに悩んで決めました。すぐにこれとは決められるものはなかったのですが、ただ1つ、人に雇われるのは向いていないということははっきりしていました。
(出典:http://brh.co.jp/s_library/interview/37/

本庶佑の大運と過去の人生を検証

本庶佑氏は、京都生まれ。
父親は、医師で山口大学医学部教授を務めた人、父の仕事の都合により、小学校から高校卒業まで山口県宇部市で育ちます。

大運:1960年18歳~己亥・印綬

大運:己亥:印綬(18歳~27歳)から京都大学医学部で学び卒業。

1960年、庚子・比肩
京都大学医学部へ進学。

1961年:辛丑
1962年:壬寅
大学3年の頃に基礎研究者としてやっていこうと決意したそうです。

1966年丙午 偏官・24歳
医学部を卒業、京都大学医学部附属病院にてインターンに従事。

1967年(25歳):丁未・正官
京都大学大学院 医学研究科生理系専攻に進学。
大学院在籍中に医師国家試験に合格。

大運:戊戌28歳~37歳

戊戌は、戊が山、戌は10月を表し、秋の土、イメージは高い秋の山
1970年(28歳):庚戌・比肩

京都大学にも大学紛争が押し寄せ建物封鎖などの事態になります。

特に医学部は激しくて、建物は封鎖され、教授は建物には入れませんでした。

私たち学生は入れるのですが、研究は1年間自己規制してましたね。

主体的に問題を解決して研究を再開したいと思い、大学院学生のまとめ役をやりました。
これは性格ですね、傍観者でいることができない。
今も変わらないな(笑)。

この1年間は決して無駄ではなかったと思います。

医者の教育は住み込み徒弟の見習い的なところがあり、当然そこにはヒエラルキーがある。

ヒエラルキーがあると、どうしても人間関係に問題が起こりやすいですから紛争も医学部では激しかった。

問題を解決したいという一心で、そのヒエラルキーの上から下までをじっくりと観察し、どんな人が信頼できるのかという自分なりの視点を獲得したのです。

要は人ですから。

ついでに政治的な場での身の処し方も学びましたよ。
出典:http://brh.co.jp/s_library/interview/37/

1971年(29歳):辛亥・劫財
京都大学大学院の医学研究科を修了。
1971年に大学院を卒業しアメリカへ行こうと決める。

1975年(33歳):乙卯・正財
京都大学より医学博士号を取得しています。

29歳~1973年(31歳):みずのとうし・傷官
カーネギー研究所発生学部門客員研究員として活動、当時の最新の技術を学び、研究を続けます。

1974年(32歳):甲寅・偏財
東京大学医学部の助手として、日本へ戻ります。

1975年:33歳・乙卯 正財
京都大学より医学博士号を取得。

1978年(36歳)戊午・偏印
東大助手時代の昭和53年,抗体遺伝子が外敵に応じ法則的に変化する「クラススイッチモデル」を発表,

PNAS(米国学士院紀要)に発表し、世界で特に権威のある学術雑誌のひとつと評価されている「ネイチャー」に取り上げられ国際的に高く評価されます。

1979年(37歳):己未・印綬

大阪大学医学部の教授に就任、5年間在籍。
37才で教授は珍しくマスコミに載り、振り回されたそうです。

大運:丁酉・正官38歳~47歳

丁は焚き火などの燃える火・酉は9月を表し、庚・辛の根となり、エネルギーを強くします。
この時期、庚金は酉金にエネルギーをもらい、丁火に鍛錬され、高級感あふれる大きな乗用車に変化、大きく存在感を表します。

1982年(40歳):壬戌・食神
京都大学医学部の教授も併任。

1984年(42歳):甲子・偏財
京都大学医学部教授、京都大学で遺伝子実験施設の施設長なども務める。

大運:丙申:偏官48歳~57歳

1992年:50歳

年運:壬申:食神

1992年にPD-1の論文を発表。

ガン細胞はPD-L1をPD-1と結合させT細胞の機能を抑えることでガン細胞を抑え込むのを阻害する仕組みを発見。

もしガン細胞より先にPD-1に結合させればT細胞は機能は抑え込まれずにガン細胞を排除できる。

この仕組みから抗体としてニボルマブ(製品名オプジーボ)、ペンブロリズマブ(製品名キイトルーダ)といった
免疫チェックポイント阻害剤が2014年に製品化。

ガン治療において、手術・化学療法・放射線治療いがいに「癌免疫療法」という新たな選択肢を設けることに成功します。

ウェブスペルの色が白色の始めころにPD-1の論文を発表。後日、癌免疫療というガン治療方法の選択肢が増えます

1995年(53歳)
京都大学大学院の医学研究科教授、研究科長や学部長などを歴任。

2005年(63歳)
京都大学大学院の医学研究科にて特任教授に就任。
2006年には同研究科の客員教授。

大運68歳~77歳:甲午・偏財

2014年運(72歳):甲午

2017年(丁酉)
5月1日から、京都大学の高等研究院にて特別教授。

2018年(76歳):戊戌。
ノーベル生理学・医学賞をアメリカの免疫学者ジェームズ・P・アリソンと共同で受賞
受賞理由は「免疫チェックポイント阻害因子の発見とがん治療への応用」です。

ジェームズ・P・アリソンはT細胞やがん細胞の研究を続け、1995年にT細胞の活動を抑える抑制性受容体のCTLA-4を発見。
このCTLA-4を遮断する抗体の開発に取り組み、1996年にマウスを使った動物実験で成功。

2018年(76 歳)戊戌

本庶佑氏の2018年、76歳は、大運甲午・偏財、年運戊戌・偏印、

これまでの努力に対して答えがでます。
事実をしっかりと受け止めて、足りないものを補充する、インプットの時期です。

秋の収穫の時期。
収穫した作物をお蔵にしまいながら、次の年の作物を今以上に豊かな物にするために、新しい知識や技術の習得に努める時です。

庚金は、常に新しい自分をつくる、変化を恐れてはいけません。
巳火がある、本庶佑さんの誕生日・1942年1月27日は、柔軟性があり、77歳まで、甲・偏財の人脈を広げる運気にいます。

偏印・印綬は、知性・勉強や趣味など、こだわりの星。

庚の大胆・辛の繊細さを併せ持ち、プライドが高く、辰・丑の湿土二つは、気になったらとことん身体に染込ませる、納得するまでやり遂げたいという、忍耐力とこだわりの強い性格です。

本庶佑のまとめ

大運は、幼少期~27歳まで、冬。

己亥・印綬の大運で、京都大学医学部に入学して卒業。
この時期、冬運ですから、親の経済力や性格によって、人生に大きく影響しますが、父親がお医者さんで、大学の先生という恵まれた環境でした。
冬生まれの子の誕生日に、巳火は温かい。

28歳~57歳まで、秋。
申・酉の大運でどんどん大きな車となって、存在感を強めています。

戊戌・10月・秋偏印の大運、京都大学大学院へ進み在学中に医師免許を取得。

偏印・印綬は、知性・資格の星。

アメリカへ渡りカーネギー研究所発生学部門客員研究員として活動、東京大学医学部の助手になり日本へ戻ります。

1978年、戊午の丁火と午火の鍛錬で、「クラススイッチモデル」を発表し国際的に高い評価を受けます。
PD-1の論文を発表。

58歳~夏運。

ドライブは、年を重ねるごとに快適になっています^^

参考資料

本庶佑(ウィキペディア)
免疫のしくみに魅せられて
(http://brh.co.jp/s_library/interview/37/)

☆記事はすべて個人的な見解になります。

最後まで読んでいただきありがとうございました。